明けましておめでとうございます。新年のご挨拶はちょっと長文で。恐縮です。
最近、自灯明という言葉が明け方によく心をよぎります。
お釈迦様が亡くなる前に弟子たちに残した最後の教え。というように学校で習ったのか 本で読んだのかは、忘れました。
私の中学と高校2年までは禅宗の駒沢学園だったので、きっと中学校の頃だったかもしれません、
私は自灯明とは 自分の中に光を入れて その光で自分の足元を照らして歩いてゆきなさいと 理解しています。
また最近30代後半から40代にかけてよく読んでいた岡本天明さんがチャネルした「ひふみ神示」を思い出して、
あの強面のうしとらの神様がおっしゃる。
「何が正しくて何が悪いのか、 何が尺度か 上も下もわからなくなる時がくるのじゃぞ。
はようまるにチョンを入れておけよ!」
みたいなことが書かれていたような記憶があって、
当時は、丸にチョンって 一体なんだろう、一体何を入れるのだろう。と思っていましたが、
最近 このまるにちょんって 自灯明のことだ!!と 思いました。
私の精神世界への目覚めは33歳 教文社が出していた 心の力の秘密 という本で 著者の名前も忘れてしまいましたが、
その著者がこれからの宇宙時代にむけて 無重力の世界に出た時、私たちは方向、というものの概念を自分以外の外側に求めることができなくなると書いていたのをずうっと忘れることができないでいました。
右も左も上も下も 全ての方向が無重力のなかに放り投げられたら自分の右手がどこを指しているのか、自分の頭が上にあるのか下にあるのかというような、上下右左の概念がもう使い物にならなくなってしまうと。
そしてあるのは 今という時間と此処という場所が交わる一点だけだと。
その一点は私にとってお臍かなと思っていましたが。
自分の真ん中にある何か。です。
これらの言葉が一つのことを伝えているように思えるのです。
シャリーマックレーンの本で 自分は神だ。とその神の属性という概念を自分に許してしまった私は
それからは全知全能の神からは全くもって、程遠い自分自身の卑小さを見つめてそれでも、自分が、人類が、命ある生き物たち全てが神に属していることを、神の子であることを疑うことはありませんでした。
この物理的な宇宙は神の肉体であって私たちはその中に属していると。
まあ細胞みたいなものでしょうか?
大海から小さなスプーンで海水を掬って海から切り離しても、それは海の水であるのと同じ質を持っています。
それと同じように、切り離された極小の神の質を体現しているのだと。
でも想像を絶するるほどの クリエイターである神からすると、もう神とは言えないよね、
いえ、それでも神であることには変わりありません。
幼い、未熟な、よちよち歩きの神です。
丸にチョンを入れろとは、自分の神性に気がつけよ!ということなのではないかしら、
自灯明とは 自分の神性(仏性)を輝かせること そして
イマココとは 自分の神性を規範に生きること。
私たち地球に生きる命は すべて 神の分け御魂。
そのたちあらわれ方は、千差万別で その姿は 神とは程遠いいけど、
大海から、小さなスプーンで掬った海水が
その形はまるで海とはにても似つかないように思えてもやはり海の水であるように。
私たちも創造主からは似ても似つかないほど、深い深い、隔たりがあるけど。
神の子であることは変えることができません。
その認識がしっかりと、腑に落ちることが
丸にチョンを入れて イマココで 自灯明で生きてゆくことなのだと。
今年も自灯明なんですが、線香花火のような明るさなもんで。。。
ヨチヨチフラフラオロオロと歩いてゆきます。
1月8日 高台寺 礼拝聴聞室「利生堂」落慶記念事業 いのちをみつめる
早苗ネネ 和歌うたコンサート。入場無料ですが事前にネットでのお申し込みが必要です。http://www.kodaiji.com/event/rishodo/