先ほど、またちょっと大きめの揺れがあり、静岡方面が震源地だとか・・・浜岡原発のことが気になります。今夜の私は、いつになく死について考えさせられています。東北を襲った地震と、その後に来た、大津波で、想像を絶するほどの、犠牲者が出て、いまだに亡くなった方の正確な人数が把握できてない現在。
一週間前3月9日の私は、ちょうど3月3日のライブが終わってWlterを見送って、やっと興奮もさめてきてほっと、安ど感に浸っていました。リアルファンタジーの歌のように、(私の人生これからが青春時代♪)と、希望にあふれていました。
そして一週間後の日本がこんな惨事に見舞われて、これからの見通しが全く立たないような事態になるとは。本当に人生は分かりません。
昔 夢の中で、車に乗っていてその車が、何か、と正面衝突して後部座席に乗っていた私は、
あっ!ぶつかると思ったとたん、その衝撃とともに、一瞬に身体が上に吸い上げられて、そこで目がさめました。ああ死ぬってこんな感じなんだな・・・と理解したのですが。
私は水が苦手です。泳ぎも全く苦手、今でも背が立たないところではゴーグルと足ひれがなければ溺れてしまいます。恐怖心でパニックになって溺れてしまうのです。
自分にとってどんな死に方が一番怖いかというと、水の中で死ぬことなんです。今現に水に流されて遺体も収容されてないような方がいるときに、不埒なと、叱られるかもしれませんが、。
きっと前世で洪水に流されて死んだ体験があるのだと思います。
その水の中で死ぬ恐怖をのぞいて、
私にとって死とは、ちょっとしたスイッチの切り替えのようなこの世とあの世の、メビウスの輪がくるっとひっくり返るような軽いシフトチェンジの感覚があります。
でもその感覚は、普段は意識の奥の奥の方にしまわれていて、思いだすこともありません。それが、この日本を襲った、大災害に胸倉を捕まえられるようなショックを受け、何か自分にとって非日常の感覚が蘇って、死に対する恐怖心が生まれて、その恐怖心をじっと味わっていると、そのあとのプロセスとして、臨界点みたいなものを通り越して、。
あっ・・全然平気!!いつでも死ねるわ。と。落ち着くのです。覚悟とでもいうのでしょうか。
今夜は関東地方にも福島原発の放射能が雲に運ばれて届いています。
日本と同じ原発推進国の仏大使館は、在日の自国民に対して、15日朝、早急に関東地方から避難するようにと呼びかけたそうです。羽田が帰国客でごった返しているとか。
管さんがテレビで原発半径30キロの住民の方々に屋内退避を呼びかけたそうですね。
早めの屋内退避として、
私は、今夜は、横浜オフィスの窓にテーピングして、外からの外気が入らないようにしました。
ノアの箱舟のように、この部屋で、ちょっとこもってみるつもりです。
床の暖房を切って、セーターを着込んで、節電は万全ですが、トイレの便座が冷たいのには未だ慣れません・・・座ったとたん。。う〜〜ひゃっこい!