不覚にも 

  • 2010.10.31 Sunday
  • 22:17
 風邪をひいてしまいました。

明後日は大事な和歌のコンサートがあるのに、まいったなあ。

自分の至らなさに、申し訳ないやら、なんやらで。

27日の未明に風邪をひいてまだくすぶっています。
26日夜中から突然寒くなって、でも冬用のお布団を出してなかったのです。

明日は最後のリハーサル。明日までには治すぞ!!


パソコンもほとんど開けずず〜っとお布団の中で耐え忍んでいます。こんな時には食事だけはチャンととらなくてはと、普段よりも食べていますが。201010082115000.jpg201010082116000.jpgホウレンソウのガーリックシイタケ炒めとキムチ、ジャガイモのふかしたもの、それに胡瓜の紫蘇和え。
これをお昼は2皿食べました。そして大根のお味噌汁。お医者様から頂いたお薬を飲んで又ベッドに入ります。皆様もおからだご自愛ください。201010152103000.jpg

歌謡祭の後は

  • 2010.10.27 Wednesday
  • 18:19
201007192006000.jpg
青い部屋です。

日本歌手協会主催、歌謡祭

  • 2010.10.27 Wednesday
  • 14:52
201010271447000.jpg
日本歌手協会の歌謡祭が五反田ゆうぽーとで〓〓おこなわれました。
楽屋風景、一緒に映っているのは”青い三角定規”のクーコさんこと西口久美子さん。201010271454000.jpg
そして九重佑三子さんと林寛子さん。
後もう一つあべ静江さんとの写真が・・・あったはずなんだけど・・・・・

この歌謡祭、昼の部と夜の部があって、私達は昼の部に出演しました。

お昼の部の最後・・トリは雪村いずみさんが唄われましたが、素晴らしかった。

声にも伸びとつやがあって とても70代とは思えませんでした。


私などはまだまだひよっこで・・・・・・・ピヨピヨ・・・

しかし今日楽屋に入って約半日、いろんな歌手の方と御一緒させていただいて、納得したことが・・・

それは出演者のみなさんが、楽屋でお化粧をしてステージ衣装に着替えて自分の番がくるのを待っているときに

次第に、いぶし銀の様な輝きを発していくのは、さすがでした。

ショウビジネスを何十年も続けてゆくことの底力が、お一人お一人に感じられた楽屋風景です。

皇后陛下第26回 IBBYニューデリー大会基調講演 (抜粋)

  • 2010.10.26 Tuesday
  • 22:49
 
皇后陛下第26回IBBYニューデリー大会基調講演
(抜粋)
子供の本を通しての平和
−−子供時代の読書の思い出−−

 
ここでは,基調講演の中から弟橘媛に関する箇所のみを抜粋してご紹介していますが,全文をご覧になりたい方は,宮内庁のホームページでご覧になれます。

 父のくれた古代の物語の中で,一つ忘れられない話がありました。
 年代の確定出来ない,6世紀以前の一人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は,父天皇の命を受け,遠隔の反乱の地に赴いては,これを平定して凱旋するのですが,あたかもその皇子の力を恐れているかのように,天皇は新たな任務を命じ,皇子に平穏な休息を与えません。

 悲しい心を抱き,皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。途中,海が荒れ,皇子の船は航路を閉ざされます。この時,付き添っていた后,弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は,自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので,皇子はその使命を遂行し覆奏してほしい,と云い入水し,皇子の船を目的地に向かわせます。この時,弟橘は,美しい別れの歌を歌います。

 さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

 このしばらく前,建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは,広い枯れ野を通っていた時に,敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ,燃える火に追われて逃げまどい,九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は,「あの時,燃えさかる火の中で,私の安否を気遣って下さった君よ」という,危急の折に皇子の示した,優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。

 悲しい「いけにえ」の物語は,それまでも幾つかは知っていました。しかし,この物語の犠牲は,少し違っていました。弟橘の言動には,何と表現したらよいか,建と任務を分かち合うような,どこか意志的なものが感じられ,弟橘の歌は――私は今,それが子供向けに現代語に直されていたのか,原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが――あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。

 この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。古代ではない現代に,海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)であったように思います。

 まだ,子供であったため,その頃は,全てをぼんやりと感じただけなのですが,こうしたよく分からない息苦しさが,物語の中の水に沈むというイメージと共に押し寄せて来て,しばらくの間,私はこの物語にずい分悩まされたのを覚えています。


人身御供

  • 2010.10.26 Tuesday
  • 21:57
 人身御供。

奥出雲町から帰ってきて、
私の心の中に、ず〜っとこの言葉が響いている。

ちょうど、11月2日の大倉記念館での和歌うたコンサートで、披露する2曲の現代語訳を書いていて、又、映像担当の広島の遊水さんに、AZUMAの資料をネットから探していただくために。オトタチバナヒメの尊の関連資料を見つけていて、

稲田姫様と。オトタチバナ姫様と。同じ共通点に気が着いてしまったのだ。

それが人身御供ということば。。

稲田姫様は、ヤマタノオロチのいけにえに。
オトタチバナヒメ様は 海神のいけにえに。

稲田姫様はいけにえになるところを、スサノオさまに助けられたのですが。
オトタチバナヒメ様は自ら進んで海の神さまの怒りを鎮めるために、いけにえに成ります。

一人は、いけにえになることで、いままで暴れん坊で、手のつけられなかった神界のはみ出し者。スサノオさまを、立派な正義の味方にしてしまいます。

もう一人は ヤマトタケルという英雄の妻で、愛する夫のために、彼の身代わりとなって、そして夫の任務を無事遂行させるために自分からいけにえになりました。

私は今まで自己犠牲というものを、あまり良いものだとは思っていませんでした。
自分を犠牲にしてまでやることないんじゃない?というようなドライな感覚があって。

でも最近自分を犠牲にしてまで助けたいものがある。自分を犠牲にしてまで守りたいものがある。

ということに、深くふかく心の奥深いところで響く音の波があるのです。
潜在意識の奥深く、私の魂が、それをとても崇高な行為だと認めているような気がするのです。

ヤマトナデシコ・日本女性の根底にあるとても美しく、気高い心に触れてしまったのかもしれません。

二人のお姫様が私に示してくれたものは、母性と受容性と・・・清らかな強さそして無垢な愛。

自己犠牲といういままで時代錯誤も甚だしいと、目にも留めなかった言葉が、急に女性性の真髄を表している言葉に思えてきた今日この頃です。

昨日、美智子皇后陛下が御講演でオトタチバナヒメ様のお話をされているURLにたどり着きました。

とても素晴らしいお話でした。ぜひ皆様にも読んでいただきたいとおもい次のページで転載させていただきます。

ありがとう奥出雲

  • 2010.10.24 Sunday
  • 16:29
201010241627000.jpg

奥出雲町ライブ

  • 2010.10.23 Saturday
  • 22:02
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今、打ち上げも終わって、ホテルに帰って来ました。
部屋に入って、一息着いて携帯を開けたら広島から見に来てくれた友達が送ってくれた、ライブの写真が届いてました。

明日は近くの老人ホームを訪問します。

その後、私は稲田神社の大祭へ、じゅんデメさん達は出雲大社へお参りして空港で待ち合わせです。

又打ち上げ

  • 2010.10.23 Saturday
  • 18:37
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ステージが終わりました。打ち上げ会場は ひさのやさん、女将のるり子さん(じゅんと私の間)と再会をはたしました。左は、私が一カ月住んでいた家の近くのデイホームの元、主任看護婦さん。

なおらい

  • 2010.10.23 Saturday
  • 14:29
お参りの後は直来です。今朝、亀嵩温泉のホテルで朝食を食べなかったら、わざわざおにぎりを作ってくれたのでそのおにぎりを食べようと思っていたら、その上におそばが・・・・・ismfileget.jpg
ismfileget.jpg実は明日、稲田神社の秋のお祭りで。そのための試食のおそばを神社の社務所で地元の皆さんが作っていたのですが、ちょうど昼時にお参りした私たちを、手招きして、食べて行きなさいと・・・・・・。おにぎりも、おそばも、暖かい地元の皆さんの施しです。
おにぎりは仁多の新米、おそばはダッタンそば?とてもおいしかったです。

私はこの後急いでコンサート会場へ。

稲田神社へ

  • 2010.10.23 Saturday
  • 14:14
ismfileget.jpg
リハーサル後に参拝しました。何年ぶりかしら、最後のお参りは6年前かな?まだこの町が奥出雲町になるちょっと前だったような気がします。6年ぶりかしら。

稲田神社、稲田姫様は、スサノオさまの奥さまです。ヤマタノオロチに食べられそうになっていたところをスサノオノミコトに助けられて、二人はめでたく結ばれます。

あの暴れん坊で、神界から地上に落されたスサノオ様を、弱き者を守るという、男の中の男!
正義の味方に変容させてしまった稲田姫さま。

受容性という女性の特質のシンボルの様なお姫様です。別名クシナダ姫とも呼ばれています。

ギリシャ神話のアンドロメダ姫との物語ともとてもよく似ている、ヤマタノオロチ伝説のヒロインです。

スサノオさまと稲田姫、二人が産んだ子供から7代目がたしか出雲大社のご祭神、大国主命だったと。

そして、私が今度、11月2日に唄うAZUMAのヤマトタケルノミコトが持っていた、草薙の剣、は
スサノオ様が退治した、ヤマタノオロチのしっぽから出てきたといわれています。


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