人身御供。
奥出雲町から帰ってきて、
私の心の中に、ず〜っとこの言葉が響いている。
ちょうど、11月2日の大倉記念館での和歌うたコンサートで、披露する2曲の現代語訳を書いていて、又、映像担当の広島の遊水さんに、AZUMAの資料をネットから探していただくために。オトタチバナヒメの尊の関連資料を見つけていて、
稲田姫様と。オトタチバナ姫様と。同じ共通点に気が着いてしまったのだ。
それが人身御供ということば。。
稲田姫様は、ヤマタノオロチのいけにえに。
オトタチバナヒメ様は 海神のいけにえに。
稲田姫様はいけにえになるところを、スサノオさまに助けられたのですが。
オトタチバナヒメ様は自ら進んで海の神さまの怒りを鎮めるために、いけにえに成ります。
一人は、いけにえになることで、いままで暴れん坊で、手のつけられなかった神界のはみ出し者。スサノオさまを、立派な正義の味方にしてしまいます。
もう一人は ヤマトタケルという英雄の妻で、愛する夫のために、彼の身代わりとなって、そして夫の任務を無事遂行させるために自分からいけにえになりました。
私は今まで自己犠牲というものを、あまり良いものだとは思っていませんでした。
自分を犠牲にしてまでやることないんじゃない?というようなドライな感覚があって。
でも最近自分を犠牲にしてまで助けたいものがある。自分を犠牲にしてまで守りたいものがある。
ということに、深くふかく心の奥深いところで響く音の波があるのです。
潜在意識の奥深く、私の魂が、それをとても崇高な行為だと認めているような気がするのです。
ヤマトナデシコ・日本女性の根底にあるとても美しく、気高い心に触れてしまったのかもしれません。
二人のお姫様が私に示してくれたものは、母性と受容性と・・・清らかな強さそして無垢な愛。
自己犠牲といういままで時代錯誤も甚だしいと、目にも留めなかった言葉が、急に女性性の真髄を表している言葉に思えてきた今日この頃です。
昨日、美智子皇后陛下が御講演でオトタチバナヒメ様のお話をされているURLにたどり着きました。
とても素晴らしいお話でした。ぜひ皆様にも読んでいただきたいとおもい次のページで転載させていただきます。