末の松山へ
- 2018.09.19 Wednesday
- 08:30
仙台コンサートの翌日 多賀城にある
あの清少納言のお父さん清原元輔が失恋した友人の代わりに読んだといわれる
契りきな かたみにそでを 絞りつつ すえの松山 なみ越さじとは
とうたわれ平安時代から有名だった末の松山へ行って来ました。
850年頃からの記録に残されている末の松山。地震が来て津波が起きても、その松山までは波は絶対に越さないといわれ、ありえない出来事の代名詞となり、平安時代に既に枕ことばにも使われていた多賀城の末の松山。
三月十一日の東日本大震災のときも、昔からの言い伝えを信じてこの松山に避難された住民の方々は、やはり今回も助かる事が出来ました。
千年以上も前の記録が今なを生きているなんて、本当に感慨深いものがあります。
川の土手下、湾の最奥部、扇状地の平野部に出た所。
見方を変えれば、自動車優先の生活に依存した結果に思えます。自動車の通行が困難な谷の上、嶺の稜線部など、寺院のある所は小高い所、自動車の通行が難しい所になります。
便利なもの、を不要なもの、と読み替えれば、災害の被害の少ない生活に戻れるかと思えます。
かたくて済みません。
長島スパーランド湯あみの島、ご出演決定おめでとうございます。