大好きな平尾先生 ありがとうございました。
- 2017.07.23 Sunday
- 12:35
昨夜 知人から 平尾昌晃先生が肺炎で亡くなられたという知らせを受け取りました。
昨年の今頃、岡山の果物を送ったらとても喜んでくださり、電話をいただきました。
お元気そうなお声で
「ネネちゃん、元気になったからまた一緒に何かしようね」と言ってくださっていた平尾先生。
じゅん&ネネの前進のクッキーズ時代。
その頃渡辺プロが経営していた「銀座メイツ」というライブスポットで平尾先生がプロデューサーでした。
私達のような 新人のタレントさんがたくさん出ていましたが、最年少だったこともあって特にかわいがってくださいました。私達も16〜7歳、先生も29歳の頃でバリバリにお若くてよくステージが終わったあとに メイツの仲間と焼き肉などに連れ出してくれたのを覚えています。
無邪気で楽しい思い出です。
そのあと、私たちは平尾先生のプロデュースで 事務所を移り、イメージも変えてキングレコードから
じゅん&ネネ で再デビューしてアイドルになりました。
その時にネネという名前を先生がつけてくださいました。
新曲の打ち合わせなどで
帰りが遅くなると家まで送ってくださり、その車の中で
「ネネは才能があるんだから頑張るんだよ」といつも励ましてくれた平尾先生。
21歳の時、私は自分探しの旅でじゅん&ネネを解散して英国に渡ってしまい、八丈島、ハワイと居を変えたため。
その後先生とは じゅん&ネネを再結成するまで、お目にかかることはありませんでしたが、
2011年「和歌うた」初のディナーコンサートを目黒雅叙園で行った時、
お忙しい時間を割いて聴きに来てくださいました。
まるい円卓の席で 大人になった私が歌う和歌を聞いて そっと涙をぬぐっていた平尾先生。
いつも一人のアーティストとして敬意をもって接してくれた平尾先生。
もう、この世ではお目にかかれないのだ と思うと 本当に・・・泣けます。
平尾先生、ありがとうございました。安らかにお眠りください。
昨年の今頃、岡山の果物を送ったらとても喜んでくださり、電話をいただきました。
お元気そうなお声で
「ネネちゃん、元気になったからまた一緒に何かしようね」と言ってくださっていた平尾先生。
じゅん&ネネの前進のクッキーズ時代。
その頃渡辺プロが経営していた「銀座メイツ」というライブスポットで平尾先生がプロデューサーでした。
私達のような 新人のタレントさんがたくさん出ていましたが、最年少だったこともあって特にかわいがってくださいました。私達も16〜7歳、先生も29歳の頃でバリバリにお若くてよくステージが終わったあとに メイツの仲間と焼き肉などに連れ出してくれたのを覚えています。
無邪気で楽しい思い出です。
そのあと、私たちは平尾先生のプロデュースで 事務所を移り、イメージも変えてキングレコードから
じゅん&ネネ で再デビューしてアイドルになりました。
その時にネネという名前を先生がつけてくださいました。
新曲の打ち合わせなどで
帰りが遅くなると家まで送ってくださり、その車の中で
「ネネは才能があるんだから頑張るんだよ」といつも励ましてくれた平尾先生。
21歳の時、私は自分探しの旅でじゅん&ネネを解散して英国に渡ってしまい、八丈島、ハワイと居を変えたため。
その後先生とは じゅん&ネネを再結成するまで、お目にかかることはありませんでしたが、
2011年「和歌うた」初のディナーコンサートを目黒雅叙園で行った時、
お忙しい時間を割いて聴きに来てくださいました。
まるい円卓の席で 大人になった私が歌う和歌を聞いて そっと涙をぬぐっていた平尾先生。
いつも一人のアーティストとして敬意をもって接してくれた平尾先生。
もう、この世ではお目にかかれないのだ と思うと 本当に・・・泣けます。
平尾先生、ありがとうございました。安らかにお眠りください。
子供の頃に聞いた「星は何でも知っている」のメロディーが好きでした。
そう言えば「愛するってこわい」も平尾さんの作品でしたね。
知ってる人が次々と鬼籍に入られる昨今です。
そろそろ僕自身も終活を考えてもいい頃なんでしょうか。
でも、今日を精一杯生きて明日を迎えたいと思います。
御祈りします。
ご冥福をお祈りします。
2005年、名古屋の中日劇場で行われた「ロカビリー&グループサウンズ」というイベントに行ったのが平尾先生を間近で見た初めでした。
それまでGSファンが最も凄い、と思って居たのが、その日一瞬で吹き飛びました。
平尾先生が自分の歌の番の時、「みんなステージに上がっておいでよ!楽しまなきゃ損だよ」と笑顔で仰られ、ステージに三十人ばかりが上がってツイストを踊り始め、それをバックに平尾先生も楽し気に踊られる。と、次々にステージに上がられる方々。口々に「マーちゃん!」と叫びながら。
銀座「TACT」の40周年記念誌には、平尾先生の思い出が、お祝いのお言葉として紙面を飾っておいででした。
じゅんとネネの結成50周年記念の折、隣り合う席にさせて頂き、二時間半ほど、ほぼしゃべりっぱなしでした。私のような者にでも優しくお声をかけて下さり、小泉純一郎よりも、こっちがいいんだと見せて頂いた写メは石川遼クンでした。
無論、中日劇場の話、TACTの話がきっかけでしゃべれたんだと思います。
ですが、平尾先生がトイレに立たれた折、奥さまがそばに来られ「平尾が心の底から楽しそうにしゃべっているのを久しぶりに見ました。ありがとうございました」と言って下さったのは、とても印象に残っています。
気さくな方だったとおもうけれど、様々な場面で「大家」に持ちあげられ窮屈な思いもあったんだと思います。
平尾先生
あの世では、「大家」揃いの前、「ひよっこ」「若造」として、思いっきり楽しまれて下さい。
平尾先生はとても大先生なのに
個人的には、一人のアーティストとして自由な心をお持ちでした。そんな先生の側面を知ってくださっている方々が沢山いるんですね。